タイトル |
インセプション (2010年 アメリカ) |
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監督 | クリストファー・ノーラン | |
主演 | レオナルド・ディカプリオ | |
鑑賞日 | 2011年5月8日 | |
一言 | 21世紀の映画界では御法度というか誰もやらなくなった「夢オチ」。 今時そんな事やる勇気のある監督はいないでしょう。 完全に興醒めですからね。 で、この映画はそんな映画界の常識を逆手に取ったわけではないんでしょうが「夢」の話です。 元々が「夢」の中の話っていう設定なんで、「夢オチ」も使いたい放題。 ラストシーンが「夢」なのかそうじゃないかで議論が出るほどにね。 これは監督してやったりでしょう。 でもアイディア自体は全然新しいもんでもないけどね。 別にこれまでも「夢」の映画はあったわけやし、「夢の中の夢」の映画もあった。 今回のように「夢の中の夢の中の夢の中の・・・」って何階層も行く映画が あったかどうかは不明やけど。 っていうかね、あんな何階層も行かれたら頭こんがらがるわ。 そしてそれは監督の逃げでもあるかな、って思う。 話を小難しくすればするほど「つまらない」って評判受けた時に 「あなたの頭では理解出来なかったんですね(苦笑)」っていう返しが出来ますから。 勿論ノーランはそんな奴じゃないと思いますが、 これは仲間内の映画談義とかだとよくある話じゃないでしょうか。 でもね、予備知識無しで冒頭のシーン観て理解出来る人って限られませんかね? 途中からは視聴者向け的な説明をする大学生が出てきましたが、 最初のシーンはほぼ説明無しで突っ走ったからね。 あれもワザとそうしたんやろうけど、ちょっとやらしい。 良かったのは、無重力状態での格闘シーンかな。 あれはどうやって撮ったのか気になった。 メイキング観たら興醒めかもしれんけど、知りたいね。 どうせ夢の中の話だから死んでも目が覚めるだけでしょ?っていう声がある事を想定してか、 監督は夢の中で死んだら虚無(まぁ大変な所)に落ちちゃうって設定を作ってきました。 確かにこの設定がなかったら、いくら銃で撃たれまくろうが全く心配いらなかったですから。 必要な設定だったかな、と。 あと納得いかん点としては「インセプション」に成功した、と何故思ってるのか?って事。 人の潜在意識にある事象を植え付けてコチラの思い通りにしたい、 っていうのがコトの始まりじゃないですか。 で、映画は植え付けに成功した時点で終わってるんですが 当初の目的(今回の場合は会社の倒産)が果たされるかどうかは、まだ判ってないでしょ。 そんなに即効性があるもんじゃないねんから。 つまり倒産してはじめて「やったーー!!成功したーーーー!!!!」ってなるんちゃうん。 ディカプリオも渡辺謙も最後ドヤ顔やったけど、 いやいや思い過ごしやったらどうすんの?って思った。 「インセプションに成功した」っていうインセプションが植え付けられとったらどうすんの?? |
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個人的評価 | 65点 |